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2011年7月8日金曜日

英語の得意な日とダメな日

今日はなんだか喋れるとか、喋れないとかいうことがあります。

英語を話すと言っても、所詮

①脳みそに記憶された単語などの断片

②それらを必要に応じて取捨選択し、つなげる回路

③発音する口、のどの動き

から構成されているわけで、上記のルートのどこかに支障をきたしているわけです。

どこか、といっても一つを重点的に鍛えるとか、逆に一つだけがどんどん劣化していく、ということはない印象があります(ひとつひとつバラバラの単語を、見るだけで一切発音しないような勉強法…中学生のようですが…をしなければの話ですが)。


個人的には、「朝仕事に出る前に、数十分練習したかどーか」で決まる気がします。それも、日本語の短文から英語の短文を想起して言うような原始的なやりかたです。一応、上記ルート全てを刺激するので。

こんなことをしなくてはいけないのもきっと、10代に徹底して鍛えたわけではないし、一日の全部で英語を使用しているわけではないので、いつまでたっても板につかない「借り物の技術」だからなのでしょう。大人になってから暇なときに練習する楽器であるとか、スポーツとかと同様ですね。


ここでしょげていてもしかたありません。もはや飛躍的な能力の向上はない、と自分を見限ってしまい、大人しく日々同じ素振り練習を続けるのも一つの手かもしれません。どうせそれをやらない日はダメなんですから。

私はこのような後ろ向き思考が大好きなのですが、これを推奨する人はあまりいませんね。いわく、成功者は全て前向きであると。

しかし、英語の勉強のような地味なことについては正直どうかなーとも思います。
あまりにポジティブ思考で、「自分はできる、一度やったことは覚えている…」とぶつぶつ念じているようなやりかたをする人がいるとします。
なりたい自分をイメージして背伸びし続けるのは、ポジティブ業界ではスタンダードなやりかたなのかもしれません。
しかしその結果、ただの努力目標を自分の”あるべき”能力と履き違えてしまい、まだ達成していないはずの高みから、まだ自分がそこにいるはずの低いところを見下すような気持ちになってしまうかも。そんな状態では、心のバランスがおかしくなります。で、そのギャップを埋めるために「高みにいる人がやっているだろう(と思われる)こと」ばかりに目が向くようになり、結果的に「大きなことばかり言うけど、基本的なことの確認や復習をしない人」に成り果てる危険もあるような。
私だったらきっとそうなりますな。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。

    『院内特殊部隊・麻酔科 研修医編』を拝読し、妙に面白かったので続編が出ていないかと検索したら残念ながら見つからず、そのかわりにこのブログを発見いたしました。
    日本を飛び出してしまったとは。記事も妙に面白いです。
    更新楽しみにしています。

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  2. Kanaさん、コメントありがとうございます。

    数人の友人しか知らないと思っていたこのブログを検索で発見して下さる方がいらしたとは!

    件の本を出した後、医学の論文書いたりとか本職(!)が忙しくなっちゃったりして、続けられないでいました。

    とりあえずブログをしっかり更新していきたいと思います。

    返信削除