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2011年7月17日日曜日

和魂鈍才

アメリカの医師に限らず、研究者や大学院生と接していて印象的なのは、彼らのプレゼンテーションにかける気合いの強さです。
まず言葉の量に圧倒されます。平気で一時間は喋る喋る。そして、ほとんど即興でも、プレゼンの基本的な構成を守っています。この辺はもう身に染みついた技術なのでしょう。

例え自分のデータが50枚のスライドの内1枚でも、世界で自分が最先端!というスタンスを崩しません。
というより、自分の知らない分野でも、素材さえあれば喋りきってしまう。これがアメリカのアカデミックな人たちなのかといつも驚かされます。

一方、私は暗記したことしか喋れませんので、ぎりぎり最低限まで切り詰めた原稿を覚えます。もはや字づらや音だけで物を覚えられる年齢でもないので、大層時間がかかります。
そして、想定される質問に対し、「これに結びつければなんとか答えられる」という回答を事前に10個ほど用意し、誰かに添削してもらっておき、これも暗記します。

別に読み原稿片手でもいいかな~とも思うのですが、ネイティブだって多分に格好から入っている以上、せめてここだけは・・・と死守しているラインです。むろん、近日崩れるでしょう。

あとは、テープレコーダーのように喋り、質問に対しては上述の10個の「どれか一番近いやつ」を答えます。
そうこうしているうち、質問者も察してくれるというものです。

この国では、喋り倒して相手を圧倒できない人間はそれだけで無能で、色々なところで損するようにできています。まるで日本のテレビ番組の中みたいだ、と思う時があります。


あるとき、どうも自分はいっぱい喋ることができない・・・と考え込みました。
しかし、すぐに気付いたのは「そもそも、自分は日本語の会話自体、スムースではない」ことでした。自分でもうすうす思っていたのですが、周囲の人によれば私は文章の途中ですら止まって考えているそうです。そんなにストレスフルな人だったのか、と思う反面、「じゃー英語でも無理だろ」と軽く諦めがつきました。

そうそう、去年日本に一時帰国した時、戦場カメラマンのワタナベさん(?)という人が人気でした。そのゆっくりすぎる話し方が面白いから、みたいな理由によるそうです。

私の感想は「どこが遅いのか?」でした。

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