このブログを検索

2011年7月19日火曜日

オールドタイプ

「医者の同級生に一斉メールをした場合、メールの返事が最も速いのは外国に留学中の人」

という話を聞いたことがあります。医者の留学生の大半は臨床(病院で患者を診る)ではなくて研究をしているという背景があると思うのですが、確かに研究が仕事のメインだと、パソコンに向かっている時間がとても長いです。日本の同級生のほとんどがそうであるような、臨床医ではこうはいきません。

さて、こうして常に目の前に検索ブラウザが開いているようになると、麻痺してくる部分があるのを自分でも感じます。

Googleで検索して出てこないとか、もともとの一次情報がすぐ手に入らないような情報に関しては、
「この世に存在しない、あるいは分からない」と見なしてしまう癖がつきつつあるのです。
自分がうまく探せていないだけかも知れないのに、「そもそもすぐアプローチできない情報に学術的に価値はない」などと開き直ってしまうふしすらあります。

実例をあげますと、以前は論文執筆にあたり、自分の言いたいことをサポートする一節を探して引用するためだけに、医大の図書館の地下に何日もこもって関係ありそうな古い書籍を片っ端から読む…ようなことをしていたと思います。私が文章というものに関してはアナログ志向なのを差し引いても、ほんの3,4年前の話でした。でも、今はweb上、図書館の電子化された文献、あと代表的な教科書の該当する章をさっと見て記載がなければ、それ以上探そうともしません。

身近な話で言えば、HPを持たない、またはGoogle map上に情報つきで反映されていないようなお店は、最初から検討の対象外になっている感じです。

飛躍しますが、これが転じて、なんかのきっかけで、e-mailを頻繁にやりとりしない人とか、Face bookの中で見つからないような人は、自分にとって存在しない…ようになってしまったりするんじゃないか?と錯覚してしまいます。まるでIT化反対派の人が言いそうなことです。

もちろん、実際はそんなことないわけです。
まめに連絡がとれるわけではないけど大切な友人と、アメリカの知られていない町で会って楽しくすごすこともあれば、達筆の毛筆で手紙を下さる年配の知り合いに、震える手(とボールペン)で返事を書くこともあります。

それでも、こういうことがあると少し安心します。
何に安心しているのかよくわかりませんが。

0 件のコメント:

コメントを投稿