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2013年2月1日金曜日

虚弱王


1週間の間に、ギックリ腰と、肺疾患と、インフルエンザになりました。
お気づかい下さった皆様ありがとうございます。

ところで、臨床現場である病態の患者さんの痰を排出させるために、陽圧換気を繰り返すとか、肺理学療法を行うわけですが、「なんで痰がでてくるか」を恥ずかしながら言葉の上でしか分かっていませんでした。
内心、「話は分かったが、でもやっぱり何で痰が出るんだろう」などと思っておりました。

が、自分でなってみて大変よく分かりました。
自分の肺の末梢組織がすごく過敏になって、空気を大きく吸い込むこと自体がすごい刺激になるような感覚でした。

2012年12月30日日曜日

帰国一年

英語の夢を、全く見なくなりました。

「英語を使う機会がない」のです。マジで。論文やら査読やらで文章の読み書きは毎日のようにやっているのですが、びっくりするほど会話はしません。
ここがちょっとワケありの地域で、外人が少ないであろうことを差し引いても、驚異です。

でも、よく考えれば、ある瞬間突然フルパワーの英会話をしなければいけない状況って、これまたないんですよね。現に、先日米国時代のボスが訪日した際にも、初日はボロボロでごまかしまくりました。でも、二日目から耳と口が少し動くようになりました。

自分の記憶の中の(美化された)ピークを維持しなければいけない!というプレッシャーって、コストvsベネフィットがあいません。
実践の機会が少ない知識技術は、優先度を下げてよい。
そういうものに関しては、必要になった時に突貫工事で取り戻す、急きょ必要なときは、得意な人に任せる。

そんな風に最近割り切ってます。



2012年12月28日金曜日

Kindle購入

電子ブックビューアーを購入しました。
本は「紙に命が宿っているもの」だから、電子媒体のはいまいちだ!
という変なポリシーが一瞬にしてすっとびました。

そしてこのデバイスは、自分で書いた本を「個人の出版社」としてAmazonで売ることができる、という機能があります。

HDDに大量にある、小説やエッセイ(学位論文作成や、海外留学のために創作活動が止まっていた)に、行き場所を与え命を吹き込むことができるかもしれない!


とくに「個人の出版社」のところに惹かれます。
以前小説を書いた時には、
「もっとイッパンジンが好きそうな中身(医療モノのドラマで描かれるような下世話な)に変えられないか」という出版社側の要望をはねつけ、なんとか内容のバランスをとりました。
(それでも、ちょっとアレな帯の文章や、なんやかんやが加わってしまいました)

ある医療小説の医学監修をやった時にも、いろいろ納得のいかない形のまま世の中に出て行ってしまって、うーんという気持ちになりました。

もちろん、本というのは、色々な立場の人の手が入って、やっと人前に完成品として出せるようになるものであることは重々承知です。

それでも、作家が「これだけは譲れない」というものが尊重されたまま出版に至ることができるというのは、魅力です。

きっと玉石混合になるでしょうが、「売るためフィルター」を通さない、何と言うか生々しい作品群がAmazonで売られているというのは、とても興味深いです。

ってことは、そういう人のために「校正、編集、助言」をしてくれる業者なんかもでてきそうですね。

ゆく年

昨年は帰国して数カ月、日本に慣れるだけで終わってしまいました。
今年は、仕事的にはちょっとグっとくることも多々ありましたが、逆にそのお陰で関わることができた人たちがいたり、思わぬ方々に助けていただいたり、と個人的には得るものが大きかったような気がします。感謝。


2012年11月17日土曜日

幸せな朝


ある当直明けで裸眼の朝、廊下で向こうから美人が歩いてくると思ったら、近づくと同僚であることが判明しました。

あとで、「僕のドキドキを返してくれ」と言ったら、怒ってました。

2012年11月14日水曜日

again

日本に帰ってきて、大きな駅でアホみたいにデカいトランクを引っ張っていたら、医者が必要な方が発生していました。

私が駆け寄ったときには、すでにやはり偶然居合わせたナースの方が横たえる場所を確保していました。

傷病者の詳細はここではまあいいとして、、、

そのナースは、都内の大学病院の救急センターの看護師さんでした。感心なことに、ジップロックに医療用の手袋数組と、マスクを持っていました。

彼女がてきぱき進めて下さるので、私はいなくてもいいような(医者がそこにいる、という意義しかなかったような)感じでしたが。

多分年齢は私より10ほど下です。えらくカッコよくみえました。

対して私は、飛行機に乗ったままの格好(冬なのに、よれよれの薄いパーカーで、しかも山に行くようなリュックしょったまま!)で、第一に女性と話すコンディションではありません。
周囲の人たちが(なぜか)写メール撮りまくってるのが苦痛なくらいです。

握手の一つもかわして別れるべきでしたが、彼女の両手はすでに血まみれだったので(私は彼女の手袋のおかげできれい)、手を差し出したらかえってそれを気にするだろうな、と思ってやめといてしまいました。

残念。

あ、しかも失礼なことに、自分は名乗ってない気が!急いでたにしてもこれは失礼!

「雪国医科大学の、ICUの(書類仕事をもっぱらとしているヤブ、モニャモニャ)医者」としか言ってないような。



それと、ここに書くぐらいですから、傷病者のかたは大事なさそうです。


2012年11月12日月曜日

学会大成功

お陰さまで、東北某県での麻酔科系学会はたくさんの参加者にめぐまれ、わたしのボスたる会長の面目もたったというものです。
いろいろあったこの県で全国学会やっても大丈夫なんだー、という(他の診療科への)ノイエスを残すことができました。

でも、(誰も求めていないのに)消耗しきったので、再び海外へ逃亡、潜伏しています。

夏休み、終わるな。