このブログを検索

2012年12月30日日曜日

帰国一年

英語の夢を、全く見なくなりました。

「英語を使う機会がない」のです。マジで。論文やら査読やらで文章の読み書きは毎日のようにやっているのですが、びっくりするほど会話はしません。
ここがちょっとワケありの地域で、外人が少ないであろうことを差し引いても、驚異です。

でも、よく考えれば、ある瞬間突然フルパワーの英会話をしなければいけない状況って、これまたないんですよね。現に、先日米国時代のボスが訪日した際にも、初日はボロボロでごまかしまくりました。でも、二日目から耳と口が少し動くようになりました。

自分の記憶の中の(美化された)ピークを維持しなければいけない!というプレッシャーって、コストvsベネフィットがあいません。
実践の機会が少ない知識技術は、優先度を下げてよい。
そういうものに関しては、必要になった時に突貫工事で取り戻す、急きょ必要なときは、得意な人に任せる。

そんな風に最近割り切ってます。



2012年12月28日金曜日

Kindle購入

電子ブックビューアーを購入しました。
本は「紙に命が宿っているもの」だから、電子媒体のはいまいちだ!
という変なポリシーが一瞬にしてすっとびました。

そしてこのデバイスは、自分で書いた本を「個人の出版社」としてAmazonで売ることができる、という機能があります。

HDDに大量にある、小説やエッセイ(学位論文作成や、海外留学のために創作活動が止まっていた)に、行き場所を与え命を吹き込むことができるかもしれない!


とくに「個人の出版社」のところに惹かれます。
以前小説を書いた時には、
「もっとイッパンジンが好きそうな中身(医療モノのドラマで描かれるような下世話な)に変えられないか」という出版社側の要望をはねつけ、なんとか内容のバランスをとりました。
(それでも、ちょっとアレな帯の文章や、なんやかんやが加わってしまいました)

ある医療小説の医学監修をやった時にも、いろいろ納得のいかない形のまま世の中に出て行ってしまって、うーんという気持ちになりました。

もちろん、本というのは、色々な立場の人の手が入って、やっと人前に完成品として出せるようになるものであることは重々承知です。

それでも、作家が「これだけは譲れない」というものが尊重されたまま出版に至ることができるというのは、魅力です。

きっと玉石混合になるでしょうが、「売るためフィルター」を通さない、何と言うか生々しい作品群がAmazonで売られているというのは、とても興味深いです。

ってことは、そういう人のために「校正、編集、助言」をしてくれる業者なんかもでてきそうですね。

ゆく年

昨年は帰国して数カ月、日本に慣れるだけで終わってしまいました。
今年は、仕事的にはちょっとグっとくることも多々ありましたが、逆にそのお陰で関わることができた人たちがいたり、思わぬ方々に助けていただいたり、と個人的には得るものが大きかったような気がします。感謝。